月報メッセージ&証<2018年1月〜12月>

20188  「神の癒しと解放の御業」
「神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。
たとえば、人々が、
彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、
その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。」
(使徒行伝19:11・12)

 今現在、日本の多くの若者達が、霊的パワースポットを求めて、
神社やお寺巡りをしています。
その中の一人、女優鶴田真由さんがいます。
彼女が神社巡りをしているうちに、
たどり着いた所が、エルサレムでした。
日本の神社も、
元をたどれば聖書のイスラエルの神だとなっていったのです。

 クリスチャンの迫害者であったパウロが、
主イエス様に出会うことによって、劇的に変化をしていきます。
ただ救われるだけでなく、キリストの宣教者となったのです。
神は、このパウロに力を注ぎ、
彼の手を通して異常な力ある業を現わされた記録があります。
癒しがなされ、悪例が出て行き、
不思議な御業が次から次へなされていったのです。

 「イエス・キリストは、昨日も今日も、いつまでも変わることがない。」
(ヘブル13:8)

 本物の霊的パワースポットは、神を礼拝している教会にあるのです。
 私たちの、このカルバリチャーチにおいても、
今までたくさんの奇跡が成されてきました。
椎間板ヘルニアの癒し、不治の病といわれている膠原病の癒し、
癌の癒し、また、医者も見放したうつ病からの癒しもあります。
 何よりも、自分でもどうしようもない自分をも、
見事に変えて下さるイエス・キリストの十字架の救いがあります。
三千年来、変わることのない真実な神の御言である
聖書を手にとって読みませんか。
あなたも、生ける神キリストに出会って、
奇跡の人生を歩みませんか。


[あかしコーナー]

 西郷隆盛と聖書

 「敬天愛人」の言葉は、
西郷隆盛が聖書を知っているからこそ
生まれたと言える言葉です。

 隆盛がいつ聖書を手にすることが出来たのでしょうか。
江戸末期、フルベッキ(宣教師)が長崎に赴任し、
宣教だけでなく、
教育や外交などのアドバイザーとして重用されました。
 彼の元に教育を受けた中に、西郷隆盛がいます。
当時の写真の中には、西郷の他に、
大隈重信、勝海舟などいます。
また、フルベッキは、鹿児島藩の島津久光の招きで、
鹿児島に行っています。おそらく、そのような時に、
中国で出版された漢訳聖書を手にしたであろうと思われます。

 漢訳の聖書では、「神」を、「天帝」としています。
大分県中津出身の福沢諭吉は、
「学問のすすめ」で、
「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言えり」
と述べていますが、
自分の息子たちには、「天」とは西洋では、GODというもので、
万物の創造者であって、このGODの御心に従って生きなさいと、
児童向きの「ひびのおしえ」で語っています。

漢訳の聖書を読んだ西郷にとっては、
「天を敬う」ということは、「天帝」即ち、
「神」を敬うことであったろうと思われます。

 彼が洗礼を受けたのは、
横浜の教会であったと言われます。
密かに受けたようです。

 明治政府にいた彼は、
「征韓論者」と言われてきましたが、
本当はそうではないようです。
朝鮮に武器ではなく、
話をつけに行こうとした西郷を退けた
政府から彼は身を引いたようです。
そうして鹿児島に帰った西郷は、
川邊家で聖書を教えたと言うことです。

 2007年に、鹿児島で開かれた西郷隆盛に関する展示会で、
これらの事が判明してきたということです。
これから大河ドラマを見る時、
彼の生き様と「敬天愛人」と聖書とが結びついて、
また、別な角度から興味深く見ることが
出来るのではないかと思います。

             −敬天愛人の真実―
           「西郷隆盛と聖書」(守部喜雅著)参考


20181  「主がなされる御業を見よう」
「それゆえ、地のはてに住む人々も、
あなたのもろもろのしるしを見て恐れる。
あなたは朝と夕の出る所をして喜び歌わせられる。」
(詩篇65:8)

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
 さて、日本人の宗教観を見てみますと、
キリスト教も一つの宗教としているところがあります。
確かに、キリスト教というと、
一つの宗教といってもおかしくはありません。
しかし、私達は単なる宗教として信仰をしているのではありません。

「文字は人を殺し、霊は人を生かす」
(Uコリント3:6)

 私達の罪の為に身代わりとなって
十字架に架けられたイエス様は、
葬られた後、三日目に甦られたのです。

私達は、この生きておられるイエス様を信じるのです。
イエス様が生きておられるように、
主を信じる私達も生きるのです。
 主イエスは、ご自身の生きておられる事を、
数々の奇跡をもって弟子たちに示されました。

 「イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることがない。」
(ヘブル13:8)

 2000年前、この地上をお歩きになられた主イエスは、
悪霊を追い出し、様々な病を癒され、死人さえ生き返らせました。
同じ主が、今日、信じる者達と共に働き、
同じような奇跡を行ってご自身の生きておられることを
お示しになって下さいます。
 あなたも、生きておられる主イエス様にお出会いし、
奇跡の人生を歩みませんか。

[あかしコーナー]

2018年のテーマ

。御 言;詩篇65篇

「それゆえ、地のはてに住む人々も、
あなたのもろもろのしるしを見て恐れる。
あなたは朝と夕の出る所をして
喜び歌わせられる。」(詩篇65:8)

【元旦礼拝メッセージ】

65:1 神よ、シオンにて、あなたをほめたたえることは
ふさわしいことである。
人はあなたに誓いを果すであろう。

 新改訳聖書では、「神よ。あなたの御前には静けさがあり」とある。
この場合の「静けさ」は、静寂の静けさです。
至聖所は、まさに静寂で神聖な場所です。
今年は、厳かな主の臨在の中にはいろう。
この後に、恵みの約束が続く。

 65:5 われらの救の神よ、地のもろもろのはてと、
遠き海の望みであるあなたは恐るべきわざにより、
救をもってわれらに答えられる。

  日本は、イスラエルから東の果てにある。
今年こそ、この日本にリバイバルを求めたい。

65:8 それゆえ、地のはてに住む人々も、
あなたのもろもろのしるしを見て恐れる。
あなたは朝と夕の出る所をして喜び歌わせられる。

「しるし」とある御言は、
リビングバイブルでは、「神のまばゆいばかりの行い」とある。
不思議、しるし、奇跡をもって、
神が日本人の心の目を開いてくれるよう求める。
あるいは、夢、幻のしるしをもって、日本の民にご自身を啓
示して下さるよう祈る。

65:9 あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、
これを大いに豊かにされる。神の川は水で満ちている。
あなたはそのように備えして彼らに穀物を与えられる。
 65:10 あなたはその田みぞを豊かにうるおし、
そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、
そのもえ出るのを祝福し、
 65:11 またその恵みをもって年の冠とされる。
あなたの道にはあぶらがしたたる。

 聖霊の、いまだかつてなかったような
圧倒的傾注を求める。
聖霊の賜物が豊かに現わされるよう求める。

 65:12 野の牧場はしたたり、小山は喜びをまとい、
 65:13 牧場は羊の群れを着、
もろもろの谷は穀物をもっておおわれ、
彼らは喜び呼ばわって共に歌う。

 羊の群れのように、教会が主の聖徒の群れで満ちるように。
豊かな魂の大収穫が為されるように祈る。

「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」
(ゼカリヤ4:6)













2013年 1     「勝利している教会」
  御言葉: 「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、
         わたしたちは、これらすべての事において
           勝ち得て余りがある。」(ロマ8:37)
    
 昨年の暮れ、総選挙があり自民党が再び政権を取り、
安倍内閣が発足しました。
経済対策を打ち出しデフレ脱却をめざしています。
円は値下がりし、株は値を上げ、
景気の対する期待感が現れています。
期待感を持つだけで、このように数字に現れてくるのだと、
つくづく感心しています。

そう思うと、私たちの気持ちの持ち方によっては
様々な結果を打ち出すこともあるのですね。
聖書には、「未来完了形」の表現がかなりあります。
それは神様の約束の真実なこと、
その確かなことを示す最高の表現として用いています。
確かに私たちの人生には、様々な不幸な出来事が起こります。
「あの時、あのことがなければどんなに良かったか・・・」と、
後悔することが多いでしょう。
 ロマ8:37には、「しかし」とあります。
つまり逆転の人生が有りますよ、と宣言しているのです。
 神様の愛は強烈です。無限です。
どんな人も、神は愛しておられます。
神の愛を信じ、その約束の御言葉に信頼していくとき、
立ち塞がった困難に対し、
荒野に道を設け砂漠に花を咲かせて下さいます。
今年の教会のテーマは、「勝利している教会」です。
神の約束に固く立って、たとい戦いはあっても、
神の教会と一人一人は
既に勝利をしているという意識と信仰をもって進んでいきます。
今年もよろしくお願いします。


【あかしのコーナー】 

           「イエス様の愛と恵みにふれ」
         
       
                          荻本美由 姉 姉

  私は子どもの頃より、愛に不足した環境に育ちました。一度は聖書を
手にした時期もありましたが、まだ子供でしたので聖書は難しくて神様に
ふれることが出来ませんでした。
 けれど、その頃からずっと本当の神様を知りたいと思い続け、他の宗教
や仏教等の信仰を長い間続けてきました。しかし、そこに本当の幸せが
ない事に気づき失望していました。当時は役職についていましたから、私
を慕う方々に、本当の事を告げる事も、嘘をつく事も出来ずに辞めさせて
いただく事にしました。そして、昨年の初めからメニエル病、父の他界、
娘の入院、交通事故とたくさんの気付きを与えられてきました。
 交通事故では、正面衝突で車は廃車となる大きな事故ではありました
が、奇跡的に外傷はなく打撲だけですんだのです。
 この一年間だけで、立て続けに色々な事があるには何か理由があるは
ずだと思っていた所に、知人より神様とイエス様の話を聞き、私がもとめ
ていた本当で唯一の神様である事を確信し、神様の愛に触れ、このカル
バリチャーチへと導かれました。
 そして、二回目に訪れた祈祷会で、異言と聖霊様が降りてくる体験を初
めてしたのです。その時の体験や感動を忘れることはないでしょう。
 ずっと求めていた神様でしたから、洗礼を受ける事にも迷いはありませ
んでした。
 日々、聖書を読み神様やイエス様の思いを知る事が出来たからです。
 洗礼は、私の肉体の誕生日でもある12月13日にお願いしました。洗礼
の日を待つ一ヶ月半の間に、どれだけ今までの自分が罪深かったかを反
省させられました。利己的で高慢、傲慢で思いやりの無い、愛の無い人
間だったと・・・。そんな私を赦して下さるなんて、調子が良すぎると落ち
込んだ日々もありましたが、それでも神様は、私の祈りを聞いて下さり、
何度か聖霊様を感じ、神様のイエス様の愛の深さに感謝し、感動し、涙し
ました。
 洗礼式の前日も何度となく聖霊様を感じて、私を祝福して下さっている
のだと思い、とても感謝することが出来ました。
 13日、無事に洗礼式を終え、これまで牧師先生をはじめ姉妹の方々に
祈って頂いていた事を知り、改めて感謝申し上げます。
ありがとうございます。
 まだ数日しか経っていませんが、心の座をイエス様に座って頂くように
なってから、どんな状況においても動揺する事がなくなりました。自分の
感情を客観的に見て冷静に判断し、コントロール出来るようになったので
心穏やかに過ごせています。
 高慢や傲慢にならず、正義感によって人を裁く事をせず、赦し、誠実に
謙虚に愛に溢れ・・・そんなふうに自分が変われたらと思います。全てを
主イエス様に委ね、生きていきます。
ここに、証させて頂く機会を与えられた事を感謝致します。

    



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